2008年02月15日
コミュニティツールとしてのSL
会社の後輩がカーリングに誘われた、と言ってました
さすが オリンピックを開催した長野です
わたし? スポーツは苦手です もやしです
ある物事に関して 自分の考えがあるとする
その考えをあなたはどう表明しますか?
狭いコミュニティで思想を言うか
広いところに思想を書くのか
ブログというツールはどちらにも利用できるものだと思う
万人が読める というのと
万人に読ませるものを書く というのは別物だからだ
Web2.0 的に言うと
万人に読ませることができるようになったのは
多きな革新らしいが
私を含め、ほとんどの人は万人に向けてブログを書く、と
いうことにしり込みをする
けれど、それでいいのかという気持ちも無くはない
SLを考えよう
SLは、万人にメッセージを伝えるよりも
同じ場を共有してる人に メッセージを伝えるツールなのかな、と思っている
何か伝えるのに
あっちいってこっちいって
SL内を出歩く人は。。。
あ、ちんどんさんがそうか
まぁ、あまり一般的ではない
たいていは ブログで情報を発信して
それを見た人たちがSL内で議論している
新聞で読んだことを 学校や居酒屋で話題にするようなイメージ
SLも世界につながっているのにね
では、SLは Webの流れを逆流しているのか?
↑
これは 不思議の国のアリスにでてくる
いかれ帽子屋風に声を出して読んでほしい
そのとき、人差し指は顔の横で天を指すべきである
どうでもいいけど
自分がなにごとかを成したいとおもうとき
実現方法はおおきくわけると2つある
社会全体のためになることをするか
自分の身の回りの人のためになることをするか
高校生のころに読んだ Go という本が好きだ
俺は日本人でも朝鮮人でもない
俺にレッテルを貼るな
という、主人公の叫びに共感するのもあるけれど
けして気負わないで
けれど 思想をもった言葉がぼろぼろでてくるところがわりと好きです
主人公が 父にボクシングを習うシーン
トレーニングのはじめに 父は主人公に言う
右腕を前に突き出せ
そのまま 時計まわりに回れ
言われるがままに主人公がまわる
そのこぶしの届くところが お前の守るべき場所だ
かっこよすぎる。
かっこいいと思うのは 私だけではないと思う。
人差し指は天をむいていますか
どうでもいいけど
思想を伝えるのも
世の中に何かを成すことだ
そういう観点で見ると、狭い世界で思想をぶつくさるのは
Go の父親の主張にかなう
SLは、Webの世界でありながら
エリアを限定する作用を持っている
じゃぁ、その辺の居酒屋で好きなもの同士話しをすればいいではないか、というと
そうではない。
同じ考え方を持ったひとが
あなたの住んでいる地域にいるとは限らないからだ
そこに SL の Web らしさが発揮される
今までの世界では
いくら考えを深めようとしても、
結局は 自分の身の回りに同好の士がいなければ伝わらなかった
もしくは、多数の少数派が集まる都会に行くのが常だった
けれど、SLでは 田舎にいながらにして
自分と同じ趣味を持つ人たちと 場を形成することができる
物理制約から 人を解き放ち
マイノリティを集める仕組みが ここにある
それは新しい世界を生み出す土壌を示す
広い世界になにごとか成したい と思うのと
自分の手の届く世界を守りたい と思うのは
どっちも大切でかっこよい
SLは後者を実現しやすいツールであり
ブログとは 補間関係にある
SLで、物理制約にとらわれず
議論することができるのは 新しい世界を生み出す土壌になりうるのだ
さすが オリンピックを開催した長野です
わたし? スポーツは苦手です もやしです
自分の考えを伝えるツール
ある物事に関して 自分の考えがあるとする
その考えをあなたはどう表明しますか?
狭いコミュニティで思想を言うか
広いところに思想を書くのか
ブログというツールはどちらにも利用できるものだと思う
万人が読める というのと
万人に読ませるものを書く というのは別物だからだ
Web2.0 的に言うと
万人に読ませることができるようになったのは
多きな革新らしいが
私を含め、ほとんどの人は万人に向けてブログを書く、と
いうことにしり込みをする
けれど、それでいいのかという気持ちも無くはない
SLは狭いところで伝えるもの
SLを考えよう
SLは、万人にメッセージを伝えるよりも
同じ場を共有してる人に メッセージを伝えるツールなのかな、と思っている
何か伝えるのに
あっちいってこっちいって
SL内を出歩く人は。。。
あ、ちんどんさんがそうか
まぁ、あまり一般的ではない
たいていは ブログで情報を発信して
それを見た人たちがSL内で議論している
新聞で読んだことを 学校や居酒屋で話題にするようなイメージ
SLも世界につながっているのにね
では、SLは Webの流れを逆流しているのか?
話題を変えよう
↑
これは 不思議の国のアリスにでてくる
いかれ帽子屋風に声を出して読んでほしい
そのとき、人差し指は顔の横で天を指すべきである
どうでもいいけど
自分がなにごとかを成したいとおもうとき
実現方法はおおきくわけると2つある
社会全体のためになることをするか
自分の身の回りの人のためになることをするか
高校生のころに読んだ Go という本が好きだ
俺は日本人でも朝鮮人でもない
俺にレッテルを貼るな
という、主人公の叫びに共感するのもあるけれど
けして気負わないで
けれど 思想をもった言葉がぼろぼろでてくるところがわりと好きです
主人公が 父にボクシングを習うシーン
トレーニングのはじめに 父は主人公に言う
右腕を前に突き出せ
そのまま 時計まわりに回れ
言われるがままに主人公がまわる
そのこぶしの届くところが お前の守るべき場所だ
かっこよすぎる。
かっこいいと思うのは 私だけではないと思う。
話題を戻そう
人差し指は天をむいていますか
どうでもいいけど
思想を伝えるのも
世の中に何かを成すことだ
そういう観点で見ると、狭い世界で思想をぶつくさるのは
Go の父親の主張にかなう
SLは、Webの世界でありながら
エリアを限定する作用を持っている
じゃぁ、その辺の居酒屋で好きなもの同士話しをすればいいではないか、というと
そうではない。
同じ考え方を持ったひとが
あなたの住んでいる地域にいるとは限らないからだ
そこに SL の Web らしさが発揮される
今までの世界では
いくら考えを深めようとしても、
結局は 自分の身の回りに同好の士がいなければ伝わらなかった
もしくは、多数の少数派が集まる都会に行くのが常だった
けれど、SLでは 田舎にいながらにして
自分と同じ趣味を持つ人たちと 場を形成することができる
物理制約から 人を解き放ち
マイノリティを集める仕組みが ここにある
それは新しい世界を生み出す土壌を示す
結論
広い世界になにごとか成したい と思うのと
自分の手の届く世界を守りたい と思うのは
どっちも大切でかっこよい
SLは後者を実現しやすいツールであり
ブログとは 補間関係にある
SLで、物理制約にとらわれず
議論することができるのは 新しい世界を生み出す土壌になりうるのだ
2008年02月14日
コミュニケーションツールとしてのSL
気づいたらバレンタインデーでした
オフィスの机の上が甘味だらけ。
甘いにおいが幸せです。
SL の話し
SLやってると クリエーターが多いな、と実感します
ユーザが自分の創意工夫で 世界を広げていける
そういうセカンドライフだからこそ なんでしょうね
クオリティの高いものが
ものすごいスピードで作られています。
ウェブのコラボレーション文化
実はこれって ウェブならではの特質です。
先日読んだ ウィキノミクスという本は、ウェブを通じて産まれつつある
コラボレーションビジネス について述べています。
昨今、分業たりえなかった産業が独占データを開放し、
無数の小(個人含む)の力を結集させ
作業効率、利益を飛躍的にアップさせています。
(ex.今まで技術独占企業だったボーイングが、サプライチェーンで分業を行いはじめた)
ネットというツールのコラボレーションしやすさが、その傾向を後押ししており
この本の筆者達自身、カナダとイギリスの自宅にいながらにして
24時間、いつでもSkypeで連絡を取りながら
同じオフィスにいるかのように 作業を進めたとか。
Linux という Microsoft に対抗するOS が作られた経緯や
エイズ対抗薬を作るプロジェクトの話しなど
読んでわくわくする本でした。
SLに話しを戻して
Lovers の店員は、おもてなしや、
人と話すことが好きな人たちが店員をやっています。
これは、まぁコミュニティBARを銘打ってるいじょう当たり前ですね。
偶然にも、店員はそれぞれ
ビルダー、テクスチャ、スクリプタ、センス
という特技を持っています。
イベントだー わー
引越しだー わー
改装だー わー
ドアが動かなくなったー わー
その都度 わいのわいのやると、大抵のものができあがります。
個人的になにかつくりたいときも、時には手伝いあったりします。
たとえば、先日は magnolia さんが 趣味でつくったもの用にオブジェクトベンダ をほしいとおっしゃって
具体的案を聞く(5分)
オブジェクトの雛形をマグさんが作るく(5分)
jvn がスクリを組む(30分)
渡して、実際に挙動を見てもらう(5分)
でほぼできあがり
テクスチャは今度貼るそうです。
これが、総計1時間以内にできました。
こんなこと、SLの世界ではどこでも起きていることなんだけど
じつは これってすごいんじゃないかな。
二人は会おうと思ったら 片道数時間かかるところに住んでるんです。
電気代以外の料金をかけることなく、これだけのスピードでコラボレーションができる、というわけです。
そりゃぁ ボーイングだって安価に高性能飛行機作れるわ。
日本のあちこちにいる人が
いや 世界のあちらこちらにいる人が
遠くにいながらにしてひとつの空間を共有し
ひとつのものをつくりだし
時にはひとつの場さえつくりだす(私たちだと BARという空間)可能性
まとめ
実はSLって、SLの中だけで完結してなくて
RLの視点からみたら、ものすごいコラボレーションツールたり得るのではないか
と気づきました。
なんとなくいつも同じところにいる人たちで
たまに手を貸し合って何か作ってるように感じてたんだけど
RLのフィルターに通しなおしてみると ものすごいことやっていたんだな、という
いまさら再発見な話し
しばらくSL内に住んでると そういったことが 当たり前になりすぎちゃって 気づかないもんですね。
タグ :Web2.0
2007年07月19日
バーチャル世界ってなんなんだろう?
ボクのパソコンとの出会いは
父親が自営業を始めるときに
買ってきたものが最初
それが小学校のとき
MS-DOS で5インチのフロッピーディスクを刺しては
ゲームをやっていた
それから、Windows3.1が出て
95が出て
中学のときに、インターネットが現れた
インターネット以前と以降で
パソコンをいじることの意味が変わってきたのかな、と思う
それまでは孤独な行為だった
一人で部屋にこもり
遊んで、楽しいけれど
それだけ
それが変わったように思う
World Chat J というチャットソフト
ISDN回線で 3日かけてダウンロードして
熱帯魚のアバターで In World を歩き回った
HN は James
初めてそのソフトをインストールした日
直前に 007 を観ていかたら
すごくおもしろかった
モニタの向こうでつながっている
いろんな大人の人たちと対等にお話しができる
大学生と生命の起源について討論を交わしたこともあった
軽くあしらわれたけど
何はともあれインターネットにつながったその日から
パソコンをいじる行為は
人とコミュニケーションをとることに変わった
RLに産まれ育つということは
自分ではどうしようもできない何らかの縛りを初めから持つこと
今、ボクは
特に自分の現状に不満を覚えているわけじゃない
けれど、In World では
空を飛んでいるような自由感が生まれる
自分の年齢も
出生も
時には性別さえも
飛び越えて人とコミュニケーションがとれるわけだから
まったく殻が存在しない分
魂の部分でのピュアな交流ができるんだと思う
だから、当然のようにSLをはじめるときも
自由に過ごそうと考えた
Jvn は全部子音
ドイツ語的な読み方で
ローマ字表記に直すと
Yfn
発音できない言葉を選んで作ったこの名前は
[誰でもない誰か]
になるための名づけだったわけ
でも、SL をはじめて数日
シェイプ作りに悩みながらある日考えた
In World はただの仮想じゃない
ひとつひとつのアバターの向こうに
RL の誰かがいるんだ
その日からSLにログインすることは
違う世界に飛び込むのではなくて
RL の誰かと窓越しに会う、ことになった
自分がRLの姿をまとうことに決めたのは
そんな経緯からだ
Jvn の名前も
それからしばらくたってから
ジョビン と名乗るようになった
[誰でもない誰か]であることをやめた
というわけで
バーチャルを楽しみに来てる人たちと
ボクがはじめたことは、ちょっと前提が違う
他の人と違うルールでSLを遊ぶことで
もしかしたら齟齬をきたすこともあるのかな、
と思う
でも
SLのおおらかさはそんな違いも飲み込んでくれるんじゃないかな、
とも思う
ボクの中で
SL が自由な世界なのは変わらない
昨晩のことだけど
夜中の10時に写真の個展に行って
直接、展示者に解説を聞きながら
あ~だこ~だ感想を言うなんてことは
RL じゃとてもできない
スクリプターの集いに参加したときは最高だった
自己紹介(1時間!)の後
それぞれが自分の作品を見せ合って
その自由さっぷりは
さながら魔法使いの集まりのようだった
ちなみにボクは意気揚々と自分の作品を出して
エラー
起動に失敗し
いたたまれなくなって横にあった
発射装置に飛び乗って
島から吹っ飛んだ
いま、窓の向こうの誰かと話しするのがものすごく楽しい
普通じゃ会えなかった人たちとの出会いを
ひとつひとつ大事にしていきたい
なんてこと考えてたら
家に遊びに来た友達に
後ろから言われた
Hey Yutaka.
How about real friend.
何事もバランスが大事ということ。
父親が自営業を始めるときに
買ってきたものが最初
それが小学校のとき
MS-DOS で5インチのフロッピーディスクを刺しては
ゲームをやっていた
それから、Windows3.1が出て
95が出て
中学のときに、インターネットが現れた
インターネット以前と以降で
パソコンをいじることの意味が変わってきたのかな、と思う
それまでは孤独な行為だった
一人で部屋にこもり
遊んで、楽しいけれど
それだけ
それが変わったように思う
World Chat J というチャットソフト
ISDN回線で 3日かけてダウンロードして
熱帯魚のアバターで In World を歩き回った
HN は James
初めてそのソフトをインストールした日
直前に 007 を観ていかたら
すごくおもしろかった
モニタの向こうでつながっている
いろんな大人の人たちと対等にお話しができる
大学生と生命の起源について討論を交わしたこともあった
軽くあしらわれたけど
何はともあれインターネットにつながったその日から
パソコンをいじる行為は
人とコミュニケーションをとることに変わった
RLに産まれ育つということは
自分ではどうしようもできない何らかの縛りを初めから持つこと
今、ボクは
特に自分の現状に不満を覚えているわけじゃない
けれど、In World では
空を飛んでいるような自由感が生まれる
自分の年齢も
出生も
時には性別さえも
飛び越えて人とコミュニケーションがとれるわけだから
まったく殻が存在しない分
魂の部分でのピュアな交流ができるんだと思う
だから、当然のようにSLをはじめるときも
自由に過ごそうと考えた
Jvn は全部子音
ドイツ語的な読み方で
ローマ字表記に直すと
Yfn
発音できない言葉を選んで作ったこの名前は
[誰でもない誰か]
になるための名づけだったわけ
でも、SL をはじめて数日
シェイプ作りに悩みながらある日考えた
In World はただの仮想じゃない
ひとつひとつのアバターの向こうに
RL の誰かがいるんだ
その日からSLにログインすることは
違う世界に飛び込むのではなくて
RL の誰かと窓越しに会う、ことになった
自分がRLの姿をまとうことに決めたのは
そんな経緯からだ
Jvn の名前も
それからしばらくたってから
ジョビン と名乗るようになった
[誰でもない誰か]であることをやめた
というわけで
バーチャルを楽しみに来てる人たちと
ボクがはじめたことは、ちょっと前提が違う
他の人と違うルールでSLを遊ぶことで
もしかしたら齟齬をきたすこともあるのかな、
と思う
でも
SLのおおらかさはそんな違いも飲み込んでくれるんじゃないかな、
とも思う
ボクの中で
SL が自由な世界なのは変わらない
昨晩のことだけど
夜中の10時に写真の個展に行って
直接、展示者に解説を聞きながら
あ~だこ~だ感想を言うなんてことは
RL じゃとてもできない
スクリプターの集いに参加したときは最高だった
自己紹介(1時間!)の後
それぞれが自分の作品を見せ合って
その自由さっぷりは
さながら魔法使いの集まりのようだった
ちなみにボクは意気揚々と自分の作品を出して
エラー
起動に失敗し
いたたまれなくなって横にあった
発射装置に飛び乗って
島から吹っ飛んだ
いま、窓の向こうの誰かと話しするのがものすごく楽しい
普通じゃ会えなかった人たちとの出会いを
ひとつひとつ大事にしていきたい
なんてこと考えてたら
家に遊びに来た友達に
後ろから言われた
Hey Yutaka.
How about real friend.
何事もバランスが大事ということ。